大阪地方裁判所 昭和38年(タ)11号 判決 1964年2月01日
原告(反訴被告) 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 金子新一
右訴訟復代理人弁護士 的場悠紀
被告(反訴原告) 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 古野周蔵
右訴訟復代理人弁護士 陶山三郎
主文
昭和三四年一〇月二七日大阪市東住吉区長に対する届出によつてなされた原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との婚姻は無効であることを確認する。
本件反訴を却下する。
訴訟費用は本訴反訴を通じ被告(反訴原告)の負担とする。
事実
≪省略≫
証拠として≪省略≫
証拠として≪省略≫
理由
一、公文書であるから真正に成立したものと推定される甲第一号証(戸籍謄本)によると、原告は昭和三四年一〇月二七日大阪市住吉区長に対する届出によつて被告と婚姻した旨戸籍に記載されている事実を認めることができる。
≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。
被告は昭和二七年大阪市立浪速保健所に保健婦として勤務し、昭和二八年八月頃より上司の訴外甲野利雄(原告の父)方に下宿することになつた。そして被告は同年九月二三日以来、当事大阪大学工学部一年に在学中の原告との間に肉体関係ができ、二人は結婚を約束し合う仲となつた。しかし、原、被告の結婚には原告の両親が反対で、被告は昭和二九年九月頃、同家を出て他に下宿することになつたが、なお二人の関係は続き、被告は三回に亘つて妊娠中絶をした。昭和三二年三月に至つて原告は大学を卒業し、茨城県日立市の株式会社日立製作所に就職赴任したが、その直前においても原告との将来の生活を望んでいる手紙を書き被告に愛情を訴えていた。被告は昭和三二年三月頃原告との肉体関係で四度目の妊娠をし、今度は生むことを決心して同年一一月中旬上京し、東京都世田谷区三軒茶屋町一四二番地に原告名義で家を借りて生活することになつたが、原告は休日には日立市から被告のもとへ来たり、時には送金をし、また被告の出産を励ましていた。被告は同年一二月二〇日、女子を出産し、その頃原告は被告のもとに来てその子にSと命名し、被告との婚姻届および子の出産届をすべく必要書類の作成ならびに取寄せ等に奔走していたが、右手続を了えないうちに被告は大阪に帰つて再び保健所に勤務し、原告は被告に手紙や時には金員を送つていた。
ところが、そのうち原告とK子(仮名)との間に結婚話がまとまり、昭和三四年一〇月二九日に結婚式を挙げることが取決められるに至つた。そこで原告は同月二三日被告との過去の関係を清算すべく日立市から大阪へやつて来て被告に会い熊谷と結婚する旨を告げたところ、被告はもちろんこれに反対した。
そして二人は被告宅において被告の母秋次トシ、同秋次常弘、近所に住む江戸川喜通を交えて話し合つた結果、せめて子供だけでも入籍させたいとの被告側の強い希望で、原告としては一旦被告との婚姻届をして子供を入籍し、のちに離婚するという便宜的手続を認めざるを得なくなり、その旨の誓約書(乙第二号証)を被告宛に作成した、原告は翌二五日、被告に対し同月二八日には再び来るが自分が来られなくても被告において右婚姻届をしておいてくれと言い残して日立市へ帰つた。そこで被告は当事の本籍地役場(佐賀県藤津郡嬉野町)へ電話で戸籍抄本の作成方を依頼するとともに、自ら本籍地に急ぎ帰り、戸籍抄本を受取つて大阪に引返し婚姻届に必要な書類を整えて、同月二七日弟の常弘とともに東住吉区役所へ本件婚姻届を提出した。この婚姻届は常弘が原告の署名を代署し、それにその日被告が誂えた原告名の印鑑を押捺して(被告は前記東京で生活したとき原告から印鑑を預けられていたが、これを喪失していた。)作成したものである。原告は翌二八日婚姻届出のため被告方を訪れ、被告から前日すでに婚姻の届出をすませ、新本籍を原告の旧本籍大阪市東住吉区鷹合町二丁目九九番地にしたことを知らされたが、右のような本籍では原告の両親に本件届出が判るので他に訂正することにし被告および常弘とともに東住吉区役所へ赴き、常弘をして前記婚姻届書中新本籍を東京都世田谷区三軒茶屋町一四二番地と訂正記載させた。しかし原告は被告に対して翌二九日のK子との結婚式はこれを挙行する旨を伝えた。そして原告は昭和三四年一〇月二九日予定どおりK子との結婚式を挙げ、同日以後同女と夫婦生活を営むに至つた。一方右挙式後は、原告は被告との間で戸籍のことについての書簡の交換はあつたが肉体関係はもちろん夫婦としての生活関係は全くないまま本訴に至つた。以上の事実を認めることができる。右認定に反する証人甲野利雄、同甲野貢、同秋次常弘、同秋次トシの各証言中の供述部分ならびに原告本人(第一、二回)および被告本人尋問の結果中の供述部分はいずれも措信しないし、他に右認定を覆えすにたる証拠はない。
ところで婚姻届がなされていてもその届出が当事者双方の届出の意思に基くものでなかつたり、さらに根本的に婚姻の意思がなかつたような場合にはその婚姻は無効といわなければならないものであるところ、前認定事実によると本件婚姻届(乙第三三ないし第三五号証)は原告自ら署名捺印したものではないが、少くとも原告には本件婚姻の届出をする意思があり、常弘がその意を受けて原告の署名を代署して戸籍法所定の書式により届出で、東住吉区長においてこれを受理したものであるということができるから、右届出には代署によつてなされた瑕疵はあるが、これが受理されている以上右瑕疵があつても、なお当事者に婚姻意思さえあれば婚姻が無効となるものではない。したがつて本件において婚姻が有効か無効かは結局当事者双方に、特に原告に右届出当時婚姻意思があつたかどうかにかかるわけである。
前認定事実によると原告は昭和三二年一二月、被告がS子を出産した当時においては被告と婚姻する意思を有しその届出をなそうとしていたことは明らかであるが、その後被告との別居生活が続くうちに勤務先においてK子との結婚話が持上りその交渉が進められ、昭和三四年一〇月二九日に同女と結婚式を挙げる日程まで決まるに至り加えて原、被告の婚姻については到底原告の両親の賛同も得られない情勢にあつたので原告としては被告との婚姻を諦めK子と婚姻することにふみきらざるを得なくなり、昭和三四年一〇月二四日被告との関係を清算しようとして被告にその旨伝えたところ反つて被告およびその家族からその罪を攻められ、かつ前記S子が非嫡出子として取扱われることとなることをおそれた被告からせめてはS子に原、被告間の嫡出子としての地位を得させてほしいとの懇請を受け、その処置に窮した原告が、一時的なその場の収拾策として被告側の要請に応じたまでのことであるから、もとより被告との間で婚姻をなす意思は毛頭なかつたものといわなければならない。なお、被告主張のように婚姻の届出により設定せられる法律上の関係がかりに過去における原、被告の事実上の夫婦関係およびその間に生まれた子供との関係に合致するにしても、右届出のとき原告に被告と夫婦生活をする意思がない以上、その婚姻届出があつたからといつて婚姻意思があるとはいえないのである。けだし、婚姻とは新しく夫婦関係を成立させるものであつて、過去にあつた夫婦関係を確認するためのものではないからである。
以上の次第で、原告は本件婚姻の届出がなされた昭和三四年一〇月二七日当時その届出の意思はあつたが婚姻の意思は有しなかつたのであるから右届出による原告と被告の婚姻は無効であるといわなければならない。
二、次に被告の予備的反訴について判断する。
人事訴訟においては、身分関係の訴に財産関係上の請求を併合することは認めないのが原則であるが当事者の便宜ないし訴訟経済を考慮し、併合請求の許される身分関係事件の本訴または反訴の請求原因事実によつて生じた損害の賠償請求については特に併合を認めている。(人訴第七条第二項、第二六条、第三二条第一項参照)。
しかし、内縁は準婚関係として一定の法律的保護が与えられてはいるがこれによつて身分関係は生じないものであり、被告の損害賠償の反訴請求の原因たる事実は原、被告が事実上の夫婦関係にあつたのを原告が一方的に破棄したことであつて明かに本訴の請求原因事実とは異別であるから右損害賠償の請求は右併合の要件を欠き、本件訴の反訴としてこれを提起することは許されないものである。
三、以上の次第で原告の本訴請求は理由があるから認容し、被告の反訴請求は不適法であるから却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 麻植福雄 裁判官 中村捷三 野間洋之助)